ジャーナリスト 堤未果

「日本創成会議」は、団塊世代が75歳以上になる「2025年問題」をふまえ、高齢者を元気なうちに東京から全国41地域へ移住させるという提言をまとめた。不足する施設やサービスの奪い合いを防ぎ、地方活性化につなげるのが狙いだという。

だがこの提言内容には疑問も残る。例えば同会議が移住先として選定した地域は、雇用を生むという利点はあるものの、医療や在宅サービスの現状について考慮されているとは思えない。

提案する側は、地方には東京より多くの受け入れ枠があるという。だが果たしてこの有識者会議のメンバーは、地方の介護現場の現状を視察したのだろうか?地方では報酬が安すぎて介護スタッフが集まらず閉鎖したり、施設を建てても開所が大幅に遅れるといった問題が多い。施設数イコール受け入れ枠と安易に考えるのは危険だろう。介護業界の民間企業参入が拡大する一方で、政府が介護報酬を切り下げたニュースはまだ記憶に新しい。東京商工リサーチのデータによると、今回の介護報酬切り下げの結果、介護事業所や有料老人ホームの倒産が急増、現時点では過去最悪のペースで増加中であるという。政府は更なる段階的介護報酬切り下げを行う意向だが、中小の介護施設が大手に淘汰されてゆく事が地元に密着した地域医療に与える負の影響は無視できないだろう。

厚労省は人手不足解消に海外から移民を受け入れると言うが、言葉の壁や社会保障費の問題、業界全体の報酬低下リスクなどを考えると、これも長期的解決策とは言い難い。介護業界に人材が集まらない最大の原因である報酬体系を見直し、若者を呼びこむ施策とセットで導入しなければ本末転倒になってしまう。

また、都心から地方へ高齢者が移住した際、特別養護老人ホーム入所枠の地域内での奪い合いの問題もある。政府は近年「介護施設ではなく在宅介護へ」と促す政策を推進しているが、自治体で総量が規制されている特別養護老人ホームの不足問題をどうするのかも現実的対策が必要だ。

そもそも政府と日本創成会議は、若年層から中年世代までが暮らしやすくなるような地方を活性化させる事を目指していた筈ではなかったか?いつのまにか「地方活性化」と「高齢者福祉」という二つの異なる政策が混在しているのにも違和感を覚える。

人間は年を取るほどに、住み慣れた環境や家族のそばで暮らしたいと願う。高齢になってからの急激な環境の変化で体調を崩すケースも、少なくない。「施設が足りないから地方へどうぞ」だけでは、自発的に移住するインセンティブとしては弱いだろう。「創成会議」では、この提言をまとめるプロセスの中で、当事者や現場の声をどれほど聞いたのだろう?

一方、介護ビジネスの波は確実に世界で大きくなっている。日本同様高齢化が進むドイツでは、国内の施設費用が支払えない高齢者の多くが3分の1の費用で済むポーランドやアジアに移住している。ドイツの公的介護保険は海外の施設利用料にも適用されるため、政府としても老人医療費抑制になるという訳だ。

この流れは確実に日本にも向いている。今年3月。東南アジア最大の病院チェーン「IHHヘルスケア」が、日本の介護老人福祉施設5ヵ所の買収計画を発表した。経営者が外国人となった時、果たして国の目は行き届くのか。最速で高齢化する日本社会でこうした政策を実施するには、当事者を含め、今よりずっと慎重な議論が求められるはずだ。

 

週刊現代「ジャーナリストの目」2015年6月連載記事