ジャーナリスト 堤未果

十月五日。八年前から秘密裏に行われてきたTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)のアトランタ閣僚会合が終了し、記者会見が行われた。三十章の機密条文は未公開だが、安倍総理は「アジア・太平洋の未来にとって大きな成果」と高く評価し、大手マスコミは日本が大幅に譲歩した関税撤廃について連日報道中だ。

日本のマスコミは概して「世界のGDPの四割を占める経済圏の誕生」とお祭りムードだが、実際はこれから先には長い道のりが待っている。完全合意に至り、合意文書を作成し、各国の代表がそれぞれの国の議会に持ち帰り承認を得るという複数の工程があるからだ。

アメリカでは、完全合意に至った後に作成された協定文書を大統領が議会に通知してから議会での賛否評決が出るまで90日間は署名できないという「90日ルール」がある。この90日という日数には強制力がなく、年明けになると大統領選挙一色になるアメリカで、TPPに関する議会の評決は選挙後にされる可能性もあるだろう。また、労組票を固めたいヒラリー・クリントン候補がTPP反対を表明、大統領選挙の巨大スポンサーの一つである製薬業界は、医薬品データ保護期間を譲歩した米国通商交渉部に、「再交渉」の要請をつきつけており、承認への道筋は難航しそうだ。マレーシア通産省はアトランタでの全交渉内容を自国民に公表し、国会審議を経た後に費用便益分析を行う方針を示し、全交渉参加国が議会審議をし正式に批准を決定するまでには長い道のりとなるだろうと語っている。

だが日本ではこの間、TPPと平行したダブル規制緩和が進められてきた。TPP交渉参加の条件である「TPP妥結を前提とした国内法改正」だ。ここにはTPPの主目的である「非関税障壁」の撤廃がたっぷりと盛りこまれている。交渉参加の条件である「TPP妥結を前提とした国内法の整備」を実施するためだ。

10月19日。TPPで全農産物の8割の関税と、聖域とされた「重要5品目」の3割が撤廃 される事が明らかになった。政府は農業対策として年末に3兆円を超える補正予算を組む方針だが、果たしてこれで農家の不安は払拭されるだろうか。

アメリカやEUは価格下落分の赤字を補助金で補てんし輸出補助金を上乗せして自国農業を保護している。TPP妥結後は、アメリカなどで大規模生産された安い農産物が、大量に流れ込んでくるだろう。

もし仮に今回補正予算を組めたとしても、農家への補助金を今後も継続的に捻出できるだろうか。そして仮に毎年3兆円の補助金を出すとしても、8月に成立した「改正農協法」により、今後外資系企業による農地買収が進めば、補助金の対象は現在の国内生産者から国内外の企業群に移行してゆくだろう。

90年代以降、寡占化と工業化で二極化したアメリカの農業構造下では、年間約3兆円の政府補助金の9割が一握りの超大規模農家とその株主に流れ続けている。彼らが日本で市場を広げる際に、最大の非関税障壁として批判してきた「全農(JA)」は、前述した「改正農協法」によって株式会社化が可能になった。TPP妥結前に、並行する日米協議による規制緩和によって日本国内の農地は外資の手に渡ってゆくだろう。今月政府が公表したTPPに関する日米間合意事項に記載された、「規制改革会議に外国人投資家の意見を反映させる」という条項は重要だ。最終合意までの道筋は見えずとも、この間にそうした土壌が着々とつくられている現状を含め、国会では丁寧かつ真摯な審議を求めたい。

 

週刊現代「ジャーナリストの目」2015年10月掲載